絵は上手い下手ではない
図書館で偶然出会った『松本零士 創作ノート』という本にこんな一節があった。僕が絵に対してなんとなく抱いていた疑問に答えてくれるもののようにも思える。もちろん、「絶対に正しい絵」というものはどこにもないだろうが、松本零士さんの意見は興味深い。
絵についての記述が最初目にとまったので、「絵というのものは」から始まる部分のみを、と思ったが、ちょっと前から読んだほうが、松本さんの創作に向かう姿勢などがよくわかるので、少し長くなるが引用させていただく。
漫画やアニメに限らず、創作にたずさわる多くの人の参考になるかもしれない。
『男おいどん』を描いている間、読者からたくさんの手紙をもらった。
「じつは私もそうだった」とか「急に彼氏が明るくなったので、なぜかと聞いてみたらこの漫画を読んだからだと言っていた、ありがとう」など嬉しい手紙がいっぱい来るようになった。こういう反応を見ていて、あるひとつの社会的通念とか世界観があると、共感してくれる読者はいるものだと確信した。
それからもうひとつ、納得したことがあった。
絵というものは上手い下手ではなく、好感を持たれるかどうかが第一義的な問題であるということだった。もちろん、技術的にあるレベルが必要なのは言うまでもない。が、それを越えたとき、上手い下手では測れない、何かがあるのだ。会ったときに好感を持つ相手とそうでない相手がどうしても存在するように、絵も好感を持って迎えられるものとそうでないものがあるのだ。では、読者に媚(こ)びれば誤摩化せるのかというと、そうはいかない。自然に滲み出てくるものが受け入れられるかどうかという世界なのである。そして、それは世に出してみないとなかなかわからないのだ。
この漫画の中で、私はできる限り自分の体験を赤裸々に描くことにした。
いちばん恥ずかしいインキンタムシのことを描いてしまえば、残りの経験で恥ずかしいことなど、ないも同然である。登場人物、そして事件も身近な人がモデルだ。
『松本零士 創作ノート』(P.41〜42)