美術品の復元について思うこと
今朝とどいた朝日新聞の別刷り「(青い)be」に、小林泰三さんという方が出ている。肩書きといっていいだろう、名前の横にデジタル復元師・色彩家とある。
その記事を読んでいて、ふと思ったことがある。冒頭の2段落分を引用させていただく。
時とともに失われた国宝の色彩を、最新のデジタル技術を駆使して、鮮やかによみがえらせている。高松塚古墳の壁画や花下(かか)遊楽図屏風(びょうぶ)、天平の仮面と、平面から立体まで手がけたレプリカ作品は数十点に及ぶ。
「えっ、最初はこんなにど派手だったの」。復元作品を目の当たりにすると、こぞって驚きの声が上がる。古(いにしえ)の美術品から「わびさび」を感じ取る人は多いが、作品は時を超え、「経年変化」で著しく退色しているのも現実なのだ。
これを読んで、作品の復元について思ったのはこういうこと。復元するということは、完成時の状態に戻すことで、別のいいかたをすれば、「できあがった」ときの状態に立ち会うこと。それはそれでもちろん素晴らしいし、立派なお仕事だと思うが、歴史的な作品が「新品」の状態であることを鑑賞者が喜ぶかどうか、それは微妙だろうなぁ。
建築であれば、新築時の状態ということだろう。分譲や賃貸のマンションならともかく、東大寺が新築であったとしたら、人々はありがたいと思って、参拝するだろうか。
だからといって、作品ができあがった状態から百年たったように「経年劣化」をシミュレーションしたり、わざと古く見えるエイジングみたいなことをするのもまた違うだろう。それに、わざと年季が入っているように見せると、今なら捏造といわれかねない気もする。
紙面では横長の大きな写真の下に「「風神雷神図」の前で。鮮やかな緑になった「風神」は、白銀の雲に乗って軽やかに漂う=東京都江東区のWOWOWスタジオ」とある。
復元というのはむずかしく、そして素晴らしく価値のある仕事だと思うが、その一方で、復元された美術品を目にすると、けっこう複雑な気持ちになるのだろうとも感じる。