孤高の画家「バルテュス展」
朝から自転車で上野へ向かい、『バルテュス展』鑑賞。秋葉原のヨドバシカメラに寄ってから帰る。バルテュスは正直、今回の展覧会まであまり気にとめたことがなかった。下着が見え、エロティックな「夢見るテレーズ」や「美しい日々」をはじめ、興味深い作品がいくつもあった。ただ、バルテュスが美術史の中でどのような位置付けの作家なのか、よくわからなかった。
もちろん、美術界の最先端を突き進まなければならないわけではないし、美術史の流れと切り離して作品そのものを見るということはできるはずだし、それはそれでいいと思う。ピカソがバルテュスについて「20世紀最後の巨匠」と評したらしく、そのひとことが僕の中につきまとってしまっていたのか。
「絵を描くことは祈りの一つ、神に行きつく一つの道だと、確信しています」や「バルテュスは芸術家と呼ばれることを嫌い、自らを画家であり職人であると常々述べていました」といった言葉が展示されていたので、バルテュス自身は芸術や美術の流れなどとは一線を画したところに、自らの創作の拠り所みたいなものを置いていたのかもしれない。
実際に作品を生で目にする前よりも、(実物を目にした)今のほうが「バルテュスをどうとらればよいのか」わからなくなっている気がする。「孤高の画家バルテュス(展覧会チラシより)」は、他の作家と並列で語りにくいのだろうか。
上記の内容を(facebookに)書いたあと、バルテュスについて調べていたら、NHKのサイト内にこのような記述に遭遇した。
最後に節子さんは、こうおっしゃいました。
「バルテュスは『何の説明もなく、ただ絵を見てください』というのが本人の一番の希望。音楽と同じように、あるひとつの心に打たれるように「あっ」と思って絵を見て、
そしてそれはそれで、絵自身の持つ、人に対する反応を、バルテュスは大切にしていました。だからただ、無心に見て下さいと」
※節子さんとは、バルテュスの妻。