「○○富士」とオリジナル
たったいま読んだ、「ほぼ日」のダーリンコラムに、いつも以上に目にとまったので引用させていただきます(全体量のうちのほとんどが、自分の文章でなくても、引用といえるのかなぁ)。
・服であろうが、おもちゃであろうが、食品であろうが、
ほんもの、というか、オリジナルな何かがあって、
それがヒットすると、追従したものが出てきます。
何かいいものに刺激されて、
新しいクリエイティブが出てくるというのは、
とてもふつうのことなんだと思います。
ただ、それはそれで、
簡単なことじゃないんだよ、とは言えます。
富士山をオリジナルだとしたら、
さまざまな地方に「○○富士」というものがあります。
その「○○」の部分が、どうしても必要なんですね。
「○○」をとってしまったら、偽物になっちゃう。
しかし、基本的に「○○」がついているかぎりは、
頭に何もついてない「富士山」には勝てません。
ま、富士山は大自然の造形物なので、
「○○富士」の側も、加工も工夫もしようがないですが、
オリジナルを意識して新しく出された商品やサービスは、
たいていオリジナルのいいところを、
おおげさに強調したり、
オリジナルにないと思われる部分を、
これ見よがしに付けたりしているものです。
そう考えると、オリジナルというのは、
基本的にだまっているものなんだなぁという
一般的な法則に気がつきます。
オリジナルは、その名そのものが修飾語を含んでいます。
「富士山だ」で、よろしいわけです。
ことばにして、あれこれと説明をすればするほど、
「○○○○○○○○○○○○○○富士」みたいなことに
なっていっちゃうことになります。
台がなくてクリームや果物だけを山ほど乗せたケーキ、
になってしまうわけで‥‥
と書いたところで、はっと気づきました!
あ、ここでクリームやフルーツの品質を上げて、
おいしくなる創作を加えていけば、
それはそれで、別のオリジナルになるじゃないか。
「○○○○○」を簡単に考えないということが、
この時代の新しい創作の方法になってるかもしれません。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
本家や元祖にあぐらをかいてるのも、よろしくないよなぁ。