「スーパーマン」じゃなくて「マン」がいい
「ほぼ日」のダーリンコラム、うまいなぁ(僕なんかが言うのもなんだけど)最後のほうの2行(「スーパーマン」じゃなくて「マン」がいいや。「マン」以上になったら落下しそうで怖いですから。)が特に素晴らしい。
・どうしてあんなに働けるのか(えらいなぁ)とか、
ほんとにスーパーマンだよあの人はとか、
いつもびっくりするくらい元気ですねとか、
そういうふうに言いたくなる人はいる。
近くにいる奥さんやら、お店のご主人やら、
知ってる部長だとか、あるいは有名な誰かさんだとか、
人並み超えたエネルギッシュな人って、いるんですよね。
ときには、そういう人に元気の秘密を聞きたいものだと、
思ったりするのも、ありがちなことです。
それに比べて、わたしはすぐくたびれちゃうんだと、
ちょいと自己卑下するようなこともありそうです。
でも、このごろ、思うんだな。
いかんいかん、スーパーマン、と。
精力的とか元気とかっていうのも、
たしかに人それぞれの個性だとは言えそうですが、
「あんなに(人一倍)元気だった人が‥‥」
と、急にブレーキがかかるようなこともよくあります。
生命にかかわるようなこともあるし、
大きな病気になることだってあります。
うだうだと平凡にやってきた人が倒れる以上に、
スーパーマンたちが危ない目にあうことのほうが、
気のせいか、多いような気もするんです。
ものすごく元気、疲れ知らず、タフ、
みんなのためによく働いてくれる、がんばりやさん。
そういうこと言われたり、思われたりするのは、
もう「あぶないぞ」と感じたほうがいいのではないか。
このごろ、そう思い直すことにしました。
幸か不幸か、ぼくはあんまり疲れ知らずじゃなくて、
グチを言ったりサボったりしながら暮らしてますので、
「スーパーマン」みたいには言われてはいません。
それは、とてもよいことだったように思えます。
みんなのために、誰かのためにがんばることで、
ボロボロになってはいけないんだと、
なんとなく、そう思っているのです。
まぁ、無理やりにその気持ちを言うならば、
「スーパーマン」じゃなくて「マン」がいいや。
「マン」以上になったら落下しそうで怖いですから。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
過ぎたるは及ばざるとは言わないけれど、危ないナリです。
2日続けてほぼ引用というのはどうかとも思いましたが、ダーリンコラムはおそらく明日には読めなくなるので(もったいないので)、ここに載せさせていただきました。