映画『奇跡』の中の奇跡
是枝裕和監督による映画『奇跡』。2011年公開のこの作品は、九州の福岡県と鹿児島県に分かれた暮らす兄弟を描いた映画である。ふたりは両親の離婚を機に、鹿児島にある母親の実家に兄(大迫航一、お笑いコンビ「まえだまえだ」の兄・前田航基)は住み、弟(木南龍之介、「まえだまえだ」の弟・前田旺志郎)はバンドマンである父親と福岡で生活。兄弟は仲が悪いわけでなく、携帯電話などでときどき連絡をとりあっている。兄は小6、弟は小4くらいだろうか(一度見ただけでは、弟の学年はわからなかった。僕が見逃しただけかもしれないが)。
この映画、大きな事件が起こらない。離婚というのは、実際の世の中では大きな出来事かもしれないが、ここで僕が言う大きな事件とは、爆発やカーチェイス、殺人や銃撃、派手な殴り合いなどのことで、そのような「わかりやすい派手さ」がなくとも面白い映画はつくることができる、ということを証明してくれているような作品だ。もともと、そのような「派手でない」映画は、僕はどちらかというと好きなのだが、たとえば小中学生の男子などは地味だと感じて、面白く思えないかもしれない。
事件うんぬんだけでなく、是枝監督の演出は派手でなく(抑制がきいているといってもいいだろう)、ドキュメンタリー映像出身の監督だからなのか、ところどころにここは「いわゆる映画」というより、「ドキュメンタリー映像」のようだなと感じるシーンがある。特に、子どもたちがメインの場面では、その傾向が強くなるように思えた。
たとえば、福岡でのあるシーン。ある生徒(有吉恵美)の住まいであるスナックの2階にて夢を語り合い、ひとりの子どもがベイブレードを3つしか持っていないで増やしたい、と語る。この場面(この場面だけではないのだが)、僕には本当に自然な会話に見えた。なんといえばいいのか、まずセリフが自然で、是枝監督は子どもに取材してからセリフを書いたのだろうかとも思えたし、是枝監督はウソっぽい演技にならないため、子どもが俳優をするシーンでは事前に台本を渡さずに、その場で見せて演じてもらうそうだが、その方法が(特に見事に)うまくいっているからなのか、わからないが、隠しカメラで撮ったというのとも違う、家族の信頼を得ている父親がホームビデオで撮影した映像のような、自然さと安心感がある。子どもが出てくるシーンがいい、という評は是枝監督の作品について何度も目にした(耳にした)ことがあるが、この場面なども本当に素晴らしく感じた。
著名人が母校を訪ねる、NHKの『課外授業!ようこそ先輩』という番組があるが、あの番組に登場する、小学校の教室で質問に答える生徒のような自然さがある。
自然に見える、と書いたが、では「演技における自然さとは何か」という点についても考えるべきかもしれないし、逆に「不自然な演技とは何か」ということにも言及する必要が出てきそうだが、それについてはまたあらためて考えてみようと思う。是枝監督は脚本も書き、編集も担当している。そのことも、「自然な演技」(に見えること)と密接に関係しているのだろうが、それについてもそのうち考察してみたい。
映画を見ながらこの音楽は誰が担当しているのだろうと気になっていたが、「くるり」だった。