役に立たないもの、万歳!
昨日の夕刊を見ていたら(今朝になってだけど)、川端康成の命日だったようで、今朝テーブルの上に置かれていた朝日新聞を妻が声に出して読んでいた。
1972年 きょう
川端康成が自殺
1968年に日本人初のノーベル賞作家となった川端康成が神奈川県逗子市のマンションで自殺。72歳だった。布団の中でガス管をくわえていた。遺書は見つからず、動機はわかっていない。代表作に「伊豆の踊子」「雪国」など。
朝食の時間に読むのに適した話題だったかは疑問の余地がある。登校前に子どもたちが耳にすべき内容であったかどうかも微妙だが、そんな話を聞きながら、「伊豆の踊子」から連想し、「伊豆の魔法使い?」などくだらないことを口にしていた僕もホメられたものではない。隣で中2の娘はニコニコしていたが、あきれ返っていたのが本心かもしれない。
川端康成の自殺に、昨日発生したボストンでの爆破事件の記事。朝は、明るいニュースでスタートしたいなぁと感じた、今朝である。
統計をとったわけではないが、作家の自殺は減っているような気がする。これは良いことか、悪いことか。良いほうでいえば、作家の自殺が減少しているとすれば、良いことだといえるだろう。月並みな表現だが、命は尊いものだと思う。だから、いかなる理由があっても自殺してほしくない。しかし、悪いほうに解釈するなら、創作に行き詰まって自らの命を絶つほど、創作に命をかけていない作家が増えているのかもしれない、とも思う。
そんなこと、お前に言われたくない。作家の人がこのブログを見たらそう思われるかもしれないが、太宰治や芥川龍之介、画家のゴッホなど身を削るように作品を生み出した人たちは少なくなかったのではないか。
昨日、妻が茂木健一郎さんのつぶやきを教えてくれたので、ひさしぶりに見てみたら、「ビジネス書、のさばりすぎだな。オレのを含めて。」というツイートがあった。この書き込みと、作家の自殺は何の関係もないだろうけど、「ビジネス書」や「ビジネス書ふう」の本が多すぎると僕も感じていたように思える。いつもいつも気にしていていたわけではないが、書店に足を運んだり、書籍の新聞広告を目にしながらここ数年、感じていたことだ。
僕のいう「ビジネス書ふう」の本とは、仕事にすぐに役立つと思わせることが書かれていたり、直接的に仕事につながるのでなくても、読んだあと何らかの効果がすぐに出そうに感じられるように書かれている本のことだ。
前に何かで読んだものでうろ覚えだが、売れるものの条件を「便利なもの」「役に立つもの」「得するもの」というように書いていたのだが(一つめと二つめ、似てる気も)、たしかに間違ってはいながいが、それだけでは悲しすぎる。というか、役に立たなくなって、便利でなくだって、得しなくても魅力的なものや面白いものはたくさんあるのだから、「便利」「役に立つ」「得する」といった基準だけだと悲しすぎるし、つまらない。
便利でなくても、役に立たなくても、得しなくてもいいんじゃね?(無理にこの言葉を使ったからか、照れくさいなぁ)。まだ読んでいないけど、村上春樹さんの新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も、読んだらすぐに役に立つとかそういう本ではないのではないか、たぶん。
役に立たないもの、万歳! くだらないもの、万歳! つまらないもの、万歳! こう口にすることで、いじめや極端な競争が減るとは思えないけど(そんな簡単なことではないだろうが)、ほおっておくとビジネス書や自己啓発書のようなものをついつい読んでしまう、自分への戒めの意味も込めて書いてみた。
便利なもの、役に立つもの、得するものも大切だと思うけど、そうでないものも同じように大切だと思う。槙原敬之さんが歌うように「もともと特別なオンリーワン」というほど、みんながみんなスペシャル(特別)な存在ではないかもしれないけど、「もともと一応はオンリーワン」くらいではあるんじゃないかな。
作家は身を削るべき、というようなことを書いていたはずなのに、気がついたら「もともと一応はオンリーワン」みたいな、ゆるい終わりからになってしまった。我ながら、いいかげんである。
イラストは、iPhoneアプリ「Zen Brush」使用(iPadで、だけどね)。